20才で末期の希少癌(非セミノーマ精巣がん・縦隔腫瘍)を治療、後15年再発なし。佐野さんの闘病体験談①

20才で末期の希少癌(非セミノーマ精巣がん・縦隔腫瘍)を治療、後15年再発なし。佐野さんの闘病体験談①
サードプレイス初となるインタビューは、佐野 義尚さんです。
2005年12月に精巣腫瘍/非セミノーマ(縦隔腫瘍)を発症。半年間の抗がん剤治療と手術の末、退院。
その後調理師として就職したのち、2009年に原付バイクで日本一周を成し遂げられました。現在は結婚され、旅人の友人と立ち上げたmetoo radioパーソナリティも務めています。
治療のことから、ライフスタイルのことまで幅広くインタビューさせていただきました。

プロフィール


 

名前佐野 義尚さん(34)
病名2005年12月〜精巣腫瘍/非セミノーマ(縦隔腫瘍)
ステージⅢ(※闘病時細かい区分はなかったと担当医は言ってたので、末期という風に言われてました。)
状況完治(寛解)

インフルエンザを疑い受診した内科、そこから癌の診断に至るまで

── まず、どのように病状に気付き、お医者さんから宣告を受けたのかを教えていただけますか。
最初は肺付近に違和感を覚え、冬だったのでインフルエンザかと思い、内科に行ったところ、総合病院に案内されました。そこで色んな検査を受け、癌が発覚。
医者からは最初「これは癌だね〜…。」と割と軽く言われました…(笑)
── 発見時の腫瘍の大きさは覚えていらっしゃいますか。
発見時6cmと結構大きかったです。
── はじめはインフルエンザを疑ったとのことでしたが、それまで何か症状はありましたか。
今思えば初期症状だったかもというのが、専門学生2年の夏休み(その年の冬にがんが見つかる)に目眩がして立ち上がれなくなりました。
バイトを休んで1日寝たら治ったので(当時学生で夜遅くまで遊んでいたこともあり)疲れが溜まったのかな〜くらいに思っていました。
── 告知を受けた際の気持ちを教えていただけますか。
20歳で死んでしまうんだ、自分の人生短かったなー。
死ぬんだろうか?なんで僕だけ?
何もかもがどうでもよくなりました。
── 宣告を受け、まず始めにやったことは何ですか?
当時の貯金を全部使いました。
お金は天国にも地獄にも持って行けないので。

病院を決めて、即入院。

── どのように病院を選ばれましたか。
紹介状を書いてもらった愛知県の病院、瀬戸市の中では大きい公立陶生病院という病院へ。特にこちらから選ぶことなく、そのまま入院しました。
── 主治医の先生や病院の先生は信頼できましたか。
状況も状況なので即入院ではあったから先生を選ぶといったことはありませんでしたが、泌尿器科の先生が対応してくれ、質問にキチっと答えてくれました。手術するしないの選択の時にも何故手術をするのか?という所にもしっかり両親と僕を前に説明してくれました。
僕が当時20歳で若く気にかけてくれていたのもあって、自然と信頼を寄せていました。
── どのような医師が信頼できると思いますか。
自分の質問に的確に答えてくれ、セカンドオピニオンを嫌がらない医師ですかね。
── 退院から現在に至るまでの通院頻度や経過状況についておしえていただけますか。
退院して、最初の1年間は3ヶ月に1回の検査(採血、造影剤CT、検尿)があり、5年目〜10年目までは半年に1回ありました。
ちょうど5年目くらいの時に再発の可能性があり、再検査が必要と言われた時は、さすがに泣きました。
半年に1回は闘病時の感覚に戻されましたし、日本一周の時にも不安になる事もありました。

5クールの抗がん剤治療と、「治療の選択」が迫られた手術の決断

── 具体的にどのような治療を行いましたか。
抗がん剤(BEP治療)5クールと手術です。
入院は、一番最初の検査入院(12月末にがんが判明)から、抗がん剤→手術と5月まで約半年入院しました。
── その結果はいかがでしたか。
とても辛く大変でしたが、学ぶことも大変多く、今では貴重な体験をしたなと思っています。
15年が経とうとしてますが、今のところ順調です。
── 5回の抗がん剤治療の後、がんの大きさは小さくなったものの、癌の殻が残り担当医からは手術を勧められたとお伺いしました。
手術で取り切ってしまったほうが再発の可能性が低くなるため手術したほうが良いと言われました。しかし、命を落としたり声がでなくなるリスクが5%あるとも告げられました。
── その際にセカンドオピニオン等は受けましたか。
5%とはいえ命を落とすリスクと、珍しい希少癌でエビデンスが少ない中での決断を一つの病院で決めるのは不安でした。
そのため、県のがんセンターにセカンドオピニオンを受けに行きました。
セカンドオピニオンでは、「ここまで癌細胞は小さくなっていればおそらく再発の可能性も少なく、リスクを追って手術をする必要も無いのでは」と受診していた病院とは反対の見解でした。
自分自身は、確率の低いがんに既にかかっているということもあり、手術した場合「5%に該当するに違いない」という不安があり、手術はしたくなかったんです
── 担当医とセカンドオピニオンの見解が異なり、「治療の選択」が迫られたということですね。その際だれかに相談しましたか。
まずは両親に相談というか、どうするよ?って感じでした。
親は手術して、完全に癌との闘いを終わらせて欲しいと言っていました。
あとは友人や当時の彼女にも相談しましたが、さすがに20歳でその決断に対する答えを出せる友人はいませんでした。
「自分の思う事をやってくれ」って答えが多かった。でも、その通りやと思います。
最終的には、手術をしてほしいという両親の意見を受け入れ手術を行いました
── 手術に挑んだ際の心の保ち方がありましたらお教えください。
自分のラジオでも話しておりますが、本当に手術前日直前まで自殺を考えていました。
しかし自分が親の立場やったら、癌で死ぬならまだしも、自殺したら絶対悲しむなと思い断念しました。
自分だったら実の子供が自殺したら、耐えれないと思ったので。
── 治療を振り返ってみて、末期と言われたご自身の病気を克服した要因は気持ちや治療の面で何だったと思いますか。
手術をするしないの選択。声が出なくなったり命を落とすリスクがある中ですっごく迷ったし、なかなか決断ができなかったけど、今思えば手術をやってよかったと思います。
気持ちの面では、日々の治療の中では抗がん剤を追加とかある中で、正直ポジティブにはなれなかったです。
けれど自宅に帰れる一時退院があった時にちょっとした外出だったり、ご飯を食べに行く事がとてもいいリフレッシュになりました。また音楽を聴くことで気を紛らわす事はできました。

副作用について

── 副作用としてつらかった事などありますか。
体毛の抜け落ち、常に付き纏う吐き気、倦怠感、耳鳴り、視力低下、匂いに敏感になるなど、五感が過敏になりました。
また、気持ち面では、生きることへの諦めと辛さ、健常者への妬みや嫉妬、自殺できない自分への苛立ちがありました。
── 治療中、その副作用との向き合い方、これをすると改善できた等はありましたでしょうか。
ひたすら我慢する事が自分の向き合い方でした。
あと、何故か柑橘系のジュース、炭酸飲料などサッパリした飲み物を飲むと少しだけ気持ちがスッキリしました。
── 副作用はその後どのようになり、今現在はどうでしょうか。
耳鳴りは毎日するようになり、体調によって悪化したりします。
年齢と共に、聴力も下がってきています。
あと抗がん剤を投与すると、投与した血管が硬くなり細くなる為、採血の時が大変です。

体調管理について

── 体調管理や、後遺症を軽減するために何かやっていた事はありますか。
免疫力が下がっていた為、常にマスクはしてました
あとはできるだけ部屋から出ないようにしてました。
── 自分の体調や薬の記録をつけていましたか。
特につけませんでした。体調によりき飛び飛びではありますが、当時の想いなどはブログに綴っていました。
── 現在も体調に関して気を遣っていることや継続している習慣があれば教えてください。
現在も太り過ぎないよう、筋トレ、ランニング、食事コントロールなど健康に気をつけることは、退院後も継続して実施しています。

お金について

── 実費での治療費はいくら位かかりましたか。
当時は学生で自分で払うことができなかった為、親に任せっきりでした。
高額医療費制度などで、実費はおそらく15万程度かと思います。
── 治療費以外にお金のかかったことなどはありましたか。
食費は別費用だった為、その分は入院費とは別だったようです。
── 保険は入っていましたか。
親がたまたま、がん保険(アフラックさん)と共済保険に入ってくれていた為、補償を受けられました。

腹を括って乗り越える事が多かった、闘病生活

── がんになって肉体的に辛かったことはありますか。
抗がん剤を流す為の利尿剤ですぐにトイレに行きたくなったこと。
抗がん剤投与後、血管が硬くなること。
手術後に太ももの付け根に注射されたこと。
── どのように乗り越えましたか。
とりあえず耐えるしかなかったですね。自殺をしないようにと自分に言い聞かせて。
── がんになって精神的に辛かったことはありますか。
20歳で子供ができなくなると宣言されたこと。
いつ死ぬんだろうと常に死と隣合わせの恐怖。
── それをどのように乗り越えましたか。
子供ができなくなることは開き直るしかなかったです。
自分は子育ての苦労を味わなくていいんだとか、見方を変えて。

死ぬ恐怖に関しても、死んだらしゃあないなとかですかね。
腹を括ることが多かったように感じます

人生は一度きり、死んだら何もできなくなる

── 考え方に変化などはありましたか。
癌は思ったよりも身近な病気であり、当時は自分がなるわけないと思ってましたが考えを改めました。
人生は一度きり。
あと、自殺することは相当な勇気と覚悟がいる。
── 得たもの、逆に失ったもの何かあれば教えてください。
<得たもの>
死んだら何もできなくなる。
病気になった時の周りの大変さと、大切さ。
家族の尊さ。
20歳でも癌になるという感覚。
 
<失ったもの>
当時の彼女と友人、知人など。
自分の子供がいる未来。
普通の人の感覚。

インタビュー後編では、闘病中の就職や家族との関係性、退院後に成し遂げた日本一周の経験などプライベートなお話についてお伺いしました。
佐野さんの治療体験記の続きはこちら↓
 

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